この記事は、Jon Lennart Aasenden氏によるDelphi in Healthcare, Fighting the Corona Pandemicの抄訳です。 |
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ヘルスケア産業におけるDelphi、コロナパンデミックとの戦い
コロナウィルスパンデミックのような危機が社会にもたらされたとき、それは人々の生活のあらゆる局面に影響を与えます。家族や親密な人々との交流や往来が大幅に制限され、私たちが生活しているコミュニティとの関わり方を一変させました。そして、顧客との関わり方や生活を維持する方法も変わってきたのです。まさに今は、多くの人々にとって、個人的にも仕事上でも非常に難しく、厳しい時期です。
過去の惨禍
親密な人たちを失う恐れがあるという非常に厳しい状況下にあっては、ビジネスは優先されるものではなくなるかもしれません。しかし、ビジネスは最終的に、医療研究のための資金や食料、薬品を提供し、現状を打破する原資となるものです。今回のパンデミックのように、金融をはじめ、あらゆる面でこのような完全な破壊を伴うような事態は、少なくとも私たちの生涯では経験したことがありません。
歴史上想起される同様の規模の惨禍は、唯一1929年の「世界大恐慌」です。それは、それ以前に発生したスペイン風邪のパンデミックが直接的な原因であるとみなすことができます。
スペイン風邪は、1918年初頭にアメリカ、ヨーロッパアジアを襲い、1921年まで猛威を振るいました(米国では1920年12月、ヨーロッパでは1921年1月に最後の感染が報告されています)。
写真: キャンプファンストン救急病院(1919年、カンザス州)
スペイン風邪では、およそ5千万人の人命が奪われ、5億人もの人々に影響を与えたと推定されています。その数は、当時の世界人口の4分の1であり、人類史上最悪のパンデミックのひとつとなりました。
歴史から学ぶこと
政府や企業は現在、景気後退の影響を懸念しています。世界大恐慌の原因となった要素は、多様かつ複雑です(1914年から1918年にかけての第一次世界大戦が、ヨーロッパ経済を枯渇させた事実をお忘れなく)が、原因と結果のパターンには類似性があり、注視すべきです。
このパンデミックのさなか、コロナウィルスの感染者が増加すればするほど、その余波としてより重い経済的負担が増加していきます。債務と金利の急激な上昇により、マーケットがそのバランスをとることができなくなると、1929年に起きたような最悪のシナリオが待っています。つまり、国内経済と国際経済の双方が完全に崩壊してしまいます。
医療関係者の多方面での活躍
ソーシャルメディアは、終末論のような最悪のシナリオを際限なく流して私たちを恐れさせ、2020年の現在という非常に恵まれた環境にいることを忘れさせます。1918年の人々には、現在のような充実した医療も、自由に使えるコンピュータも、グローバルコミュニケーションの手段もありませんでした。そして、最も重要な違いは、当時は、国際的な医療研究の共有がなされていなかったことです。
写真: Siv Marie Lienさんは、DIPSでカスタマーケアに従事していますが、コロナ禍の中追加のシフトでナースとしても働いています(DIPS ASより許諾を受けて使用)。
例えば、ペニシリンは最初の抗生物質でしたが、1928年にロンドンの研究所でアレクサンダー・フレミングによって発見されたものの、1940年まで治療薬として国際的に認知されませんでした。言い換えれば、研究所での発見から世界規模での実用化まで、実に12年を要したのです。現代のテクノロジーでは、そんな長大なタイムフレームはもはや過去の遺物です。
確かに、コロナウィルス(SARS-CoV-2)は新しいものですが、それは科学的に理解可能な動きをするため、私たちは、簡単な手順でウィルスの拡散防止を行うことができます。ヨーロッパ、アジア各国、そしてインドでは現在、ロックダウンを実施しています。人々は24時間文字通り家にいて、新たな感染者を生む一切のアクセスを遮断することで、ウィルスに対抗しています。
同時に、研究者や慰労関係者は、感染者を治癒するための効果的な手段を発見しようと努力しています。そして、陽性反応を示した人の80%が回復しているという事実を忘れないでください。
冷静な視点を持つこと
現状を展望してみると、19万3千人がコロナウィルスに命を奪われているのに対し、通常のインフルエンザの今シーズンの犠牲者は2万3千人です。つまり、この状況をなすがままにしておくと、SARS-CoV-2による世界中での死者の数は恐ろしい数になってしまうだろうということです。ありがたいことに、世界中の医療専門家やその関係者はこの困難な戦いに挑んでいます。ですから、冷静に見ても私たちはこれを克服できるという楽観的な観測を持つことができるのです。打ち勝ちましょう。
図: GoogleはWHOと協力して、コロナに関する数値データのライブフィードを提供しています。
EU全域で、5月11日から経済活動を再開するという議論もなされています。ですから、私たちは、ゆっくりでも確実に、この長いトンネルの出口に向かっています。
図: SARS-CoV-2の構造(出典:クリエイティブ・コモンズ)
しかし、事実を明確にしておくならば、コロナウィルスはインフルエンザよりもはるかに攻撃的であり、それはまったく異なる方法で人体にダメージを与えます(「陰湿」という言い方が適当かもしれません)。両者は非常に異なるウィルスであり、コロナがその性質よりも多くの人命を奪っていないのは、医療専門家がすばらしい仕事をしてきて、今もなお継続してくれているおかげです。
コンピュータ、現代科学、そしてグローバルコミュニケーションの助けによって、各国は感染者の爆発的拡大の手前で、その一歩を踏み出すことができました(ロックダウンは、迅速かつ極めて効果的な国民保護の手法です)。
コロナウィルスがどのような影響を与えるかについては、まだ学ぶべきことが数多くあります。しかし、人類はこれを克服するべき前進を続けています。
潜在的な景気悪化を克服する
本稿執筆時点で、コロナウィルスによってさまざまな程度の影響が世界各地に起きています(そのため、情報の関連性の度合いが地域によって異なるでしょう)。そこには、数千とは言いませんが、数百の可変要素があるため、これがいつまで続くのか言うことはできません。ここノルウェーでは、政府からの通知によれば、5月まではロックダウンが継続されると予想されます(すでにロックダウンから2ヶ月が経過し、良好な結果を出しています)。その可変要素は毎週変化します。私たちはただ待って、確認するだけです。
今私たち、すべての人ができることは、過去に起きた不況の状況を少し振り返ってみて、有益になりそうな共通の特徴やパターンを探してみることです。不況は、さまざまなかたちでやってきますが、まず第一に、予測可能な人々の反応(感情的なものとそれ以外の双方)によって引き起こされます。最近も、こうした不況が世界中を襲ったことを忘れてはいけません。実際、2000年、1990年、そして遡れば1980年にも大不況が発生しました。2000年のドットコムバブル(ITバブル)の崩壊は、私の生活を根底から覆してしまったので忘れることができません。
ドットコムバブルがはじけた時に、私は合計12ヵ月も対応に追われました。何の備えもしていなかったからです。
私は、有望なテクノロジー企業のCTO兼主任エンジニアという地位を追われ、文字通り、地方の遺体安置所の床を吹くような仕事に従事することになりました(劇的な変化があったということです)。貯蓄はなくなり、保有する株式は価値がなくなってしまったため、自宅を5万ドルの損失を伴って売却しなければなりませんでした。このバブル崩壊の余波から回復するのに、実に10年を有しました。
これが今違った経験を有していることになるのです。つまり、ベストケースシナリオとともに、ワーストケースシナリオも見てきたのです。ですから、こうした経験を活かして、よりよい結果を目指すことができるのです。
では、先ほど言及したように、ドットコムバブルの崩壊から何か有益なものが得られるかどうか考察してみましょう。
予測可能な可変要素
当時私が仕事を見つけることができなかったのは、私自身ニッチな領域に特化していたからです。ドットコムバブルがはじけた時に、私が専門としていたのは、必須の産業分野に分類されない領域でした。そして私自身も、自分の専門分野、そのニッチな領域が、必須の分野ではないということを認識していませんでした。その結果、状況に適応することができなかったのです。文字通り、目の前にあった機会にまったく気が付かない状態だったのです。
社会がドットコムバブルの崩壊のような危機に接したとき、現在のコロナウィルスパンデミックも同じ状況ですが、通常次の3つのことが起こります。
- マーケットは2つのカテゴリーに分断されます。
- 必須のサービス
- 必須ではないサービス
- 適応型のビジネスが成功していきます。
- 画一的なビジネスモデルは苦戦します。
ウォルター・フリック氏は、最近ハーバードビジネスレビューに「How to Survive a Recession and Thrive Afterward」という記事を寄稿しており、同様の所見を述べています。これは一読の価値があります。
必須のサービス
状況に応じて、マーケットが何を「必須のもの」「必須でないもの」とみなすかは異なってきます。しかし、共通する点は、生存と安定の持続に必要とされるものは常に「必須のもの」となり、すぐにその価値が得られなかったり、即安定性に寄与しないものについては一時的に保留されるということです。
ドットコムバブルがはじけた時、Delphiを用いたIT部門のサービスやソフトウェア開発は、日々のビジネスに直結するプロジェクトに限定されていました(スキームやアイデア、情報操作にばかり費やしていたドットコムバブルの時代とは実に対照的です)。つまりは、人も企業も、生き残るために必要となる信頼に足る、本質的かつ基本的なものに回帰するのです。そして、それ以外のすべては重要ではないとみなされます。
ノルウェーでは、必須となる事業は、石油部門、ヘルスケアサービス、運輸、物流、農業、保険でした(もちろん、これだけに限定されるわけではありませんでした)。つまり、新しいマーケットの開発から、既存のマーケットの維持にフォーカスが移っていました(私たちの分野では、マーケットは創造的なソフトウェア開発から、ネットワーク管理、ビッグデータ、セキュリティやリソースの共有に移りました。これは、15年の歳月を経て進化を遂げ、クラウドコンピューティングとして再び現れました)。
考察
これを、今日私たちが置かれた状況に重ね合わせてみると、そのパターンは同じですが、いくつかの可変要素が変わってきています(ただし、今回についてはそのパターンを認識しているため、適応可能です)。現在、地球全体がロックダウンしているような状態であるため、店舗、公共交通機関、アウトレットストア、石油、保険といった分野が大きなダメージを受けています。そのため、このカテゴリーに属する仕事は減少します。
もしビジネスモデルが、顧客の来店に依存する店舗を所有しているような画一的な「モノリシック」なものである場合、それは「必須ではないもの」というカテゴリーに分類されてしまいます(薬品や食品などの生活必需品を販売している場合は別です)。従業員が在宅作業できるインフラを備えていないようなソフトウェア企業を経営している場合も、同様です。
しかし、状況に適応し、オンラインでの告知を広げて(配送業者と連携して)宅配サービスを拡充させれば、いわゆる適応型ビジネスモデルによる経営となり、成功、拡大する可能性は飛躍的に増大します。
ソフトウェア開発者は、純粋にデジタルの世界で、物理的なパッケージを出荷することなく展開可能なビジネス媒体を用いているというメリットがあります。ですから、その出費は、ホスティングやオンサイトインフラに限定されるでしょう。おそらく今は、仮想化やDockerについて学ぶよい機会なのではないでしょうか。開発チームが在宅で仕事ができるようにし、おそらく必須のサービスに分類されるソフトウェア開発に転換できるようにすることが求められるでしょう。
Delphiとコロナウィルスとの戦いにおけるその役割
Covid-19のような生物学的なウィルスの話題から、パンデミック時のマーケット変化を引き起こす原因とその影響について考察してきましたが、ここでエンバカデロのDelphiについて採り上げることは飛躍しすぎているように思うかもしれません。もちろんそのように感じる理由は分かっています。しかし、私は以前、Delphiが世界各国の医療向けソフトウェア開発において確固たる地位を維持し続けてきたことに触れました。そして、その医療サービスは、永続性が求められる数少ない必須サービスのひとつです。それは、いつの時代においても、まさに必要不可欠なサービスです。
医療ソフトウェアのマーケットは幅広く、そのカバレッジは、現代医学のあらゆる側面に及びます。研究所の分析用ソフトウェアから、歯科や眼科(視力に特化したヘルスケアシステムなどを含む)といった一般的なサービスに至るまで広範です。
2月に遡りますが、私はノルウェーの企業NorJournalが、歯科/外科医向けのフルセットのジャーナリングシステムを構築、販売している事例を紹介しました。NorJournalは、300以上の歯科医院で導入され、数千人の患者を管理するクライアントサーバーベースのシステムです。そのシステムは、X線分析を行うモジュールに至るまで、すべてエンバカデロのDelphiによって記述されています。
今回は、コロナウィルス対策のソフトウェアの供給に直接関わっている大企業、DIPS ASについて紹介しましょう。
DIPS AS
DIPS社は、ヘルスケアならびに医療分野のソフトウェアを供給する、スカンジナビアで最大規模のサプライヤーのひとつです。同社には、300人以上の開発者がフルタイムで勤務しています。DIPS社のソフトウェアポートフォリオは、病院全体の運営から部門管理、SCUや医療研修施設の運営まですべてをカバーしています。
図: Delphiで記述されたモジュール型の医療アプリケーション「FastTrak」。図はCovid-19モジュールを追加したところ。
ノルウェーでは、5つの診療所のうち4箇所がDIPSのソリューションを採用しており、合計で15万人の医療専門家がそのソフトウェアのメリットを享受しています。
FastTrak Covid-19
DIPSが開発したプログラムのひとつで、Covid-19との戦いの最前線に展開されているのが「FastTrak」です。FastTrakは、Delphiで記述されたモジュール型のアプリケーションです。それは、Covid-19パンデミックモジュールとして提供された最初のアプリケーションのひとつで、感染の追跡、テスト、ドキュメント化にフォーカスしたものです。
図: Covid 19感染者向けのFastTrakスクリーニングフォーム
ドキュメント化は、医療部門内では特に重要です(いわゆるテキスト編集と混同しないように。このソフトウェアは、政府の交付スキームとXMLフレームワークとも連携し、クリニックと部門間での情報伝達方法の基礎となるものです)。そしてこれらはすべて、高度なセキュリティと機密性を備えています。
Delphiのルーツ
FastTrakには、一見しただけでは分からない遥かに遡るルーツがあります。コードを見る限り、依存性注入、クリーンなインターフェイス抽象化、ジェネリクスなど、明らかにモダンなテクニックを用いています。そして何より、Spring4Dフレームワークが頻繁にそのアーキテクチャに用いられています。
コードはクリーンで洗練されており、熟考のあとが見られます。これほどきれいに整理されたコードを見る機会はめったにありません。これまでも、何人もの有名なエンジニアと長年にわたって仕事をしてきましたが、コードを見て顎が落ちるとは、まさにこのことです。そのコードから感銘を受けたという表現は、むしろ控えめです。
図: FastTrakの感染追跡機能は、感染者と接触したことのある人に対して警告ないしは通知が可能なため、対応時間の短縮と治療の選択肢の拡大に役立ちます。
「コードベースの最も古い部分は、実際には1999年にまでその起源を辿ることができます。何行かのコードは、SmartHeartという製品に含まれていたものです。この製品は、ファイザーノルウェーが、その年の2月14日に発表されたものです。その日付は、Delphi4周年の記念日でありバレンタインデーであるということにちなんで決定されたものです。そのソフトウェアのアイコンも赤いハートでした。より分かりやすいかたちのものは、2003年1月にデンマークのコペンハーゲンで発表されました。それは、顧客の医療ドキュメント化のニーズに合わせて新しいモジュールを追加することで、容易に拡張できるように設計されていました。オリジナルのバックエンドは、MS SQL Server 6.5またはMSDE 2000でした。」
Magne Rekdal氏(同システムのオリジナルの作者)
それ以来、製品は何回もリファクタリングを繰り返し、新しい言語機能を活用し、よりよい構成とモジュール設計に改良してきました。DelphiとMicrosoft SQL Serverは、いずれも可能な限り後方互換性を維持するように努めている製品です。
Delphi 7のような古いバージョンのDelphi向けに記述されたコードは、最新バージョンでも問題なくコンパイル・実行できます。Delphiにおけるモダナイゼーションは、既存の知的財産の大分部分を「リライト(コードの書き換え)」する必要はなく、コードの一部を最新の構造に「リプレース(置き換え)」するだけなのです。
例えば、ジェネリクスの導入はその良い例です。ジェネリクスは必ずしも使う必要はありませんが、それによって置き換えられる定型コードの量は膨大です。コードの保守は重要な要素のひとつです。Delphiにおいては、テクノロジーの進化は非常に明確です。手続き型、オブジェクト指向、ジェネリクスと進化してきましたが、これらは共存し、新しいものは従来のレイヤーの上に存在します。
Delphiを用いるメリット
Delphiの主要な特長は、いつの時代においても「生産性」であると言えます。その優れた生産性は、オブジェクト指向とDelphiを特長付けているRAD(Rapid Application Development)手法に由来します。その結果、Delphiを用いれば、開発者は機能を実装するためのベースとなる部分やコードインフラなどの構築に時間を費やすことなく要求されるタスクに集中でき、マーケットに投入するまでの時間(TTM)を劇的に短縮できるのです。
FastTrak Covid-19モジュールは、これを顕著に証明した例です。DIPS社は、スカンジナビアでこうしたモジュールを提供した最初の企業のひとつであり、最小限の遅延のみで、迅速かつ効率的に医療専門家が対応できるようにサポートしています。DIPS ASは、大企業としていくつもの言語およびソリューションを提供し、そのポートフォリオにはさまざまな製品をラインアップしています。しかし、FastTrakとそのデータ指向設計とモジュールアーキテクチャは、実績あるDelphiのエコシステムにしっかりと根差しているのです。
そのエコシステムは、長い年月の試練にも耐え、パラダイムシフトとともに進化を遂げ、現在でも10年前と同じように活気とその生産性を維持し続けています。
利用したツール
FastTrakのような製品は、エンバカデロのDelphiが提供する豊富なエコシステムを活用して構築されています。DelphiそしてC++Builderの長所のひとつは、コンポーネントというかたちで、モジュール型の設計が可能になっていることです。Delphiには特に、商用および非商用の数多くのコンポーネントベンダーが存在し、特定の機能にフォーカスしたすぐに使えるソリューションが用意されています。
FastTrakでは、多くのDelphi開発者にとってもなじみのある、以下のようなコンポーネントパッケージを活用しています。
- FastReports
- Konopka VCLコントロール (Raize)
- ODacデータベースコンポーネント
- Spring 4Dフレームワーク
- BergSoftコンポーネント
アプリケーションの構築に関連した周辺のインフラについても、次のようなDelphi製のツールを活用しています。
- ヘルプおよびマニュアル
- FinalBuilder
- Beyond Compare
- Doc-O-Matic
- Database Workbench Pro
マーケットで成功している他の多くの製品と同様に、Delphiはその成功の鍵となっています。これから数週間、数ヵ月、さらには数年間でそうしたソフトウェアが紹介されることを願っています。